チーム医療における病院薬剤師の役割
NIPRO

Vol. 04 岡山大学薬学部 救急薬学分野

背景 2012年3月、岡山大学薬学部に日本で初めて救急薬学分野が開設された。きっかけは、岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 教授 名倉弘哲先生が、前年に起きた東日本大震災時に災害医療支援チームの一員として現地入りし、薬剤師の少なさと必要性を痛感する一方で、緊急時における対応を学ぶ必要があると思ったことにある。今回は、スペシャルインタビューとして、名倉先生に救急、災害医療における薬剤師の役割、救急薬学分野開設の経緯などを伺った。

Special Interview
名倉 弘哲 教授に訊く、
救急、災害時における薬剤師の重要性とその役割

東日本大震災時における災害医療支援チームの現状

2011年3月11日に起きた東日本大震災を私が知ったのは、ハワイ大学におけるクリティカルケアの研修を終え、帰国した震災当日の晩のことでした。岡山大学では、岩手県の要請を受けて、3月16日に医師、看護師、運転手のチームが第1班として大学病院の救急車で被災地に入り、その後12班が順次派遣されました。第2班からはチームの中に薬剤師が加わり、私は第4~5班として、3月24日に現地入りしました。この時点で、震災発生時から約2週間経過しており、亜急性期に入っていました。滞在は1クール丸4日間の予定でしたが、県現地医療機関の要請もあって8日間に延長しました。私も災害医療支援チームの中に入ったのは初めてでしたが、ほとんどの医療チームに薬剤師は入っておらず、一方で現地の薬剤師の多くは被災者でもあり、疲弊状態でした。そのような状況下で、支援物資として届けられた薬は山積みのまま放置され、私は、薬剤師が必要であるのに、全く足りていないことに愕然としました。

東日本大震災の現地における薬剤師としての活動内容

私は、最初に陸前高田市に入り、被災した県立病院の代わりに診療所として機能したコミュニティセンターで、診療チームの一員として活動しました。1日120名くらいの患者さんを診療する中で、処方箋の代わりになる指示箋に基づき、これまで患者さんが飲んでいた薬を聴取し特定しながら、薬を渡していました。時には自身で薬を決めることもありました
それから、大船渡市に活動拠点を移し、救急搬送患者への対応や支援物資として届けられた大量の薬を仕分けて、必要な薬を必要とするところに届ける活動をしました。支援医薬品が放置されていた理由は、薬剤師不足や配送システムの欠如の他、保険診療を行っている医療機関の場合、無償で提供された支援医薬品を保険診療と区別できず、使用して良いかどうか判断が難しかった、という問題もあったのです。しかし、診療所に薬が無いので戻れない、という被災者もおられましたので、県立大船渡病院の病院長の指示をいただき、私は薬を配付すべく、岡山大学病院の救急車を運転して、各診療所や老健施設などを巡りました。行った先では、診療記録を見せてもらい、その場で何の薬が必要かを判断し、配分しました。支援医薬品については、4月に厚生労働省保健局医療課より、支援医薬品を他の医薬品と区別することは困難であるから、薬剤料を請求することを認める、という旨の事務連絡がありました。
さらに私は避難所を巡り、適切な市販薬の提供や必要に応じて受診勧奨と診療場所の情報提供を行いました。地元の薬剤師の方々も本当に頑張っておられましたが、自身が被災されて病院に寝泊まりされている方もおられ、休んでいただくことが必要でした。一方で薬剤師だからできることは山積しており、誰もがマンパワーの必要性を感じていましたので、少ないなりに支援活動を行う薬剤師も増えていきました。
※大規模災害時には災害救助法が適用されると特例措置がとられ、医師の処方が困難な場合、一定の期間に限って薬剤師の判断にて医薬品の授与が認められる。

東日本大震災時の支援活動の様子
東日本大震災時の支援活動の様子

Data

岡山大学薬学部 救急薬学分野:
2012年3月開設。薬学の専門知識を最大限に提供し、救急医療に特化した薬物治療のアプローチ、医薬品情報の共有化、そして学部・大学院教育と臨床研究を展開する。名倉弘哲先生の指導の下、2017年5月現在、8名の学生(大学院生を含む)が学んでいる。